
関門プロデュース研究隊 隊長 富田です。
早いものでもう12月。師走です。2017年の夏にスタートした「関門時間旅行プロジェクト」も半年近く過ぎました。
今度の12月15日(金)で公開中継も5回目。11月25日に東京から中継した「関門”ノスタルジック”海峡」の特別編も含めれば6回に渡って研究会やらシンポジウムやらをやってきました。
知れば知るほど、この関門エリアほど有名物語の舞台になっている場所も少なかろうと思うし、その事が知られていないギャップが大きい場所も無いと思います。ちょっと考えてみましょう。
日本人なら知名度ほぼ100%ワードの
「壇ノ浦」と「巌流島」が関門海峡と知る人は何%か?
壇ノ浦と巌流島が両方関門海峡だったなんて! 第4回のゲスト 源義経を演じた俳優成河(そんは)さんですら驚いていたこの関門の2大有名話。
地元の人は「へ〜、案外知らないんですかね?」と平然とすることに毎度こちらが唖然とするメガトン級コンテンツです。ホントに何も無い町で必死に「何か観光ネタになる要素はないか」と必死に探す人が聞いたらコブシを強く握ってぷるぷる震えそうなリアクションです。
関門エリアの皆さん、いま日本中で、アニメやドラマの「聖地巡礼」を銘打った観光アピールがされているのは、ニュースなどでたぶんご存知ですよね? ドラマのロケで使われた何の変哲もない公園なんかを「ここです」とアピールしてファンが訪れています。
それを見て「関門エリアもやっぱドラマやアニメのロケ地にならないと〜」と思うかもしれませんが、いやいやその前にちょっとよく考えてみましょう。
多くの町や街では、物語の舞台になったことをそこまでして必死に掘り起こさないとならないのであって、そもそもがメガトン級コンテンツの舞台である関門は、まずはそれをアピールしなくてどうしますか〜!
とはいえ、源平合戦と壇ノ浦の戦いについて、名前はみんな知っていても詳しいことは知りません。僕だってそうだった。
源氏が勝って平家が滅びたことは分かっていても、源氏の大将があの歴史の人気キャラ源義経だとまで知っている人はかなりマシな方で、まして関門海峡の潮の流れが途中で変わったことが勝負の決め手と知る人は相当の歴史ツウではないでしょうか。少なくとも僕はまったく知りませんでした。
平家が安徳天皇と三種の神器を持って戦に臨んだこと、その結果幼帝が海に沈んだことも、正直言ってこのプロジェクトで調べるまで知らぬことでした。下関の人は「え〜!」というかもしれませんが、北九州の人で「安徳天皇」をちゃんと認識している人ってどのくらいいるのでしょう?
我々、関門の魅力をアピールするものがまずしなければならぬのは、関門エリアの物語のことを、ちゃんと全国に知らせることではないでしょうか。それを第5回目の【関門時間旅行】ではやろうとしています。
坂本龍馬とおりょうの唯一平穏な新婚時代は下関
夜、巌流島にこっそり渡って花火した…青春の海峡
武蔵と小次郎の巌流島だって同じです。
武蔵が遅れていって、「遅いぞ、武蔵!」と小次郎が刀の鞘を捨て、武蔵がそれを見て「小次郎敗れたり!」というのはドラマなどで知ってます。で、武蔵が勝つことも。
しかし、あれがいったい何の決闘だったのか、ぱっと言える人はどのくらいいるのでしょうか? 少なくとも僕は北九州に来るまでまったく知りませんでした。
答えは、小倉藩の剣術指南役を争う戦いです。今は巌流島こと正式名「船島」は下関市に属していますが、決闘の頃は小倉藩に属していたわけです。そして藩が認めた正式の決闘として行われたのがあの有名な戦いです。
では、なぜそんな戦いになったのか・・・これは歴史ザムライの小野さんが「イキザマミュージアム#2」に自説も含めて詳しく面白く書いているのでそれをご参照いただくとして、それにしても地元の人ですらこういう話をよく知らないという状況なのは確かです。
壇ノ浦や巌流島という全国的な超有名コンテンツですらそうなんですから、幕末の高杉晋作が奇兵隊を決起し、坂本龍馬と意気投合し、龍馬の生涯一回しかない実戦の戦争出陣「小倉戦争」が行われたり、英米蘭仏の欧米艦隊に長州藩が関門海峡で砲撃して逆にコテンパンにやられて開国のきっかけとなる「下関戦争(馬関戦争)」のことなど、全国的アピールはまったくされていない状況です。
また、坂本龍馬と妻のおりょうが生涯でもっとも幸せに暮らした地が下関であることも、よほどの歴史好きしか知らないのではないでしょうか。
二人が、日本人初という新婚旅行に行った霧島(鹿児島県)のエピソードは案外よく知られています。霧島も存分にアピールしています。しかしその後、龍馬が最後におりょうと共に過ごした平穏な日々、霧島が新婚旅行ならこっちは新婚生活の地といっていいのが下関。下関の豪商伊藤九三の家に間借りして二人で2ヶ月近く過ごしています。二人がこんなに一緒に過ごしたところは他にありません。
この間、龍馬とおりょうは歌会で歌を作ったり、花見をしたり、こっそりと小舟で巌流島に渡って花火を楽しんだりした記録があります。そういえば大河ドラマ「龍馬伝」でそういう幸せそうな日々があったような気もする・・・。
しかも、おりょうは龍馬が暗殺されるまでずっとここに住み、龍馬の帰りを待っているのです。まさに新婚新居といっていいでしょう。
あの平清盛も関門と深い関係があり、しかもお墓も!?
しかしまあ普通、これだけの「ネタ」があれば大変です。観光の目玉でしょう。
いやいや、これだけじゃありません。もうホントに枚挙に暇がない大ネタの宝庫過ぎて、感覚が麻痺しているのかほとんどアピールがされていない・・・。
歴史ザムライが平清盛と日宋貿易と関門海峡について、その深い関係をブログに書いていたけれど、なんとその清盛の墓が平家最後の砦とした「彦島」にあるというのもまったく全然知られていません。それどころかあまり整備もされていないという驚くべき状況です。
清盛といえば日本史上の超A級登場人物でしょ? 清盛の墓は日本中いくつかあるのですが、彦島のものは、平家総大将平知盛が関門海峡での最終決戦に向けて分骨してきたものだという話があって、そうだとしたらそんな知盛と平家全体の思いも含めて全国にある中でも最重要な清盛の墓では?と思うのですが・・・全国的にどころか地元の人もほとんど知らないという事実。
僕もまだ行ってないので、今度ちゃんと調べてみたいと思っています。
それにしても龍馬とおりょうの新婚時代の関門海峡にしても、若き平清盛のワールドワイドな野望と関門海峡にしても、もっと知られてもいいように思いますが、物語っていい「本」を書く人と、面白おかしく語る「語り部」がいないことには広がらぬのですよね〜昔も今も。(誰かやりませんか?)
そういう意味で第5回関門時間旅行では、今乗りに乗る浪曲の玉川奈々福さんをお迎えして、昔から日本の話芸でも超有名な話が多い「物語の聖地」である関門エリアを生体験してもらおうと思ったわけです。
奈々福さんがいつも語ったり、誰かの話で聴いてきた「その場所」に、実際にお連れすることができれば、その後の浪曲のノリも違う!ましてや関門海峡一望の会場で語る地元の演目なら、いつもより更にすごみを増してワクワクを超えたゾクゾク系のエンタメになるのではないか?と思っているわけなのです。
ちなみに、玉川奈々福さんと豊子師匠による浪曲本編は、ネット中継ではやりません。今回これが聴けるのは、現場に来てくれた人だけのお楽しみです。
これだけのシチュエーションで、当代随一の演者のショーを楽しめる機会はめったにありませんので、気になる方はどうぞお見逃しなく!
地元の人はもちろん、遠くのあなたもせっかくのこの機会に1〜2泊して関門に来ませんか?
海峡都市で、会いましょう^。^