海峡都市。
そこでは、兄弟のような二つの都市の真ん中に、世界につながる海が流れています。
関門海峡なら、その幅は、最短でわずか700m。
海峡をへだてて、異なる文化、異なる価値観、異なる存在が向かい合う。
微妙に違うあの町とこの町が、船で、橋で、トンネルで結ばれ、
日常の内側に、「旅」が包み込まれていく。
あちらとこちらの人々が、複雑な歴史と感情を引きずりつつも少しずつ交わり、
そこから新たな文化が創造されていく。
世界の海峡都市 #2 香港
【国家】中華人民共和国 香港特別行政区
【海峡名】ヴィクトリア ハーバー
【都市名】香港 (Hong Kong)
- 海峡北岸:九龍半島|仏教・道教の寺院から、モスクまでそろう半島
- 海峡南岸:香港島|欧米の人と資本が根づくビジネスセンター
【両岸最短距離】およそ1000m
【海峡都市エリア人口】およそ700万人
【宗 教】仏教、道教、キリスト教、イスラム教など
海をはさんだ異文化との接点が日常にとけ込む独特さが、旅人を魅了してやまない、「世界の海峡都市」の数々をご紹介するこのシリーズ。
今回取り上げるのは、イギリスから中華人民共和国に返還され、その一部となりつつも、まったく異なる社会制度を維持する地区、香港です。 しかも、ビクトリア ハーバーという海峡をはさんで、性格の異なるふたつの地区から形成されているところからも、「ひとつでふたつ、ふたつでひとつ」という海峡都市の特徴を備えているといえるでしょう。
まずは、香港の歴史をざっくりと。
まずは、かんたんに香港の歴史を振り返っておきましょう。
19世紀当時、中国を治めていたのは清朝でした。当時の中国は、茶葉の産地として世界的に重宝されていて、イギリスへも大量の茶葉が輸出されていました。茶葉を輸入しすぎて、代金として貴重な銀をどんどん中国に支払わなくてはならなくなったイギリスは、困ったあげくに、18世紀から植民地としていたインドを産地とするアヘンを中国へ輸出。その代金として、銀を取り戻そうとします。このアヘン、もともとは薬用として使われることが多かったのですが、次第に「嗜好品」としての色彩が強まっていきました。
このため、中国ではアヘン中毒者が続出、これはいかんと清朝はアヘンの輸入を規制しようとしますが、アヘンを売りたいイギリスとの間で利害が対立。1840年、アヘン戦争が勃発します。
アヘン戦争は、当時すでに多数の軍艦をそろえていたイギリスの海軍力がまさり、清朝は惨敗。その結果として、1843年に香港島がイギリスに植民地化されます。さらに、第二次アヘン戦争ともいわれるアロー戦争の結果、九龍半島も1860年にイギリスに植民地化されることとなります。
結局、香港島と九龍半島、どちらの地区もイギリスに植民地化されることになるのですが、時期が17年もズレていて、香港島のほうがかなり先だったことは、「海峡都市 香港」を語る上で、ひとつのポイントです。さらに1898年には、九龍半島以北の地域である新界も含め、現在の香港の全域がイギリスに植民地化されます。
第二次世界大戦中には、一時的に日本軍に占領されてしまうなど、紆余曲折がありましたが、結局、「イギリスによる植民地化は、99年間とする」という1898年当時の約束通り、1997年に香港は中国に返され、現在にいたります。
幕末の「海峡スター」たちが、彦島を守った!?
ちなみに、私たちの関門海峡でも、ほぼ同じ年代に、似たようなエピソードが残っています。 関門海峡の本州側に位置していた、長州藩。彼らは、尊皇攘夷(そんのう じょうい)を旗印に、1863年と1864年の二度にわたり、関門海峡を通る外国船に砲撃を加えます。
しかし猛反撃を受け、降伏。 このときに、和平交渉の全権を担ったのが、この「関門時間旅行」メディアのスターのひとり、高杉晋作。さらに、のちに初代 内閣総理大臣となる伊藤博文が、イギリス留学で身につけた英語を活かして通訳をつとめています。
のちに伊藤博文自身が語ったところでは、「このとき、『彦島(今や下関の工業拠点となっていて、本土と3本の橋でつながっている島)』を、香港のように植民地化するぞ!と、イギリス側が言ってきた。しかし、高杉さんと自分のふたりで示し合わせて、うまく突っぱねたのだ」と。 伊藤本人の回想が初出なので、本当かどうか若干あやしい話ではあります。でも、長州のスターふたりが、彦島を植民地化から守った!というのは、歴史ロマンにあふれた素敵な逸話ですね。
高杉晋作と伊藤博文
少し脱線しますが、高杉晋作と伊藤博文は、ともに、明治維新の思想的支柱となった吉田松陰の松下村塾で学んだ、いわば同窓生。高杉のほうが2歳年長で、兄弟分のように仲が良かったようです。
関門海峡から車で1時間半くらい走り、日本海側へ抜けると、長州藩の本拠地であった、山口県 萩市に着きます。ここに、松下村塾そのものの建物も残っている「松陰神社」があり、吉田松陰が門下生一人ひとりをどのように評していたか、というのが記録に残っています。
松陰先生いわく。 「晋作は、学問はものすごくできるけれど、やたらと癇が強くて、反骨心あふれる暴れん坊。だから、同じくらい学問のできがよい久坂玄瑞を引き合いに出して、晋作に向かってわざわざ久坂のことを褒めちぎって、怒らせて伸ばそうとしている。」 「博文は、晋作や久坂ほど学問はできない。ただ、ちょこちょこ動き回って、いろんな人をくっつけて、まとめるのは抜群にうまい。だから、きっといい政治家になるだろう。」
さすが松陰先生、ひとりひとりのことをよく見て指導していますよね。 現代風にいえば、コーチングの天才!
ちなみに、長府にある下関市立歴史博物館には、伊藤博文が酔っ払ったまま書きつけた、という漢詩の書かれた屏風があります。これがすごい迫力で、一見の価値ありですよ。初代内閣総理大臣、まさに国を作り替えた大政治家の、エネルギーレベルの凄まじさが伝わってきます。
さて、このままだと歴史ザムライさんのコーナーみたいになってしまうので、香港に話を戻しましょう。
香港のヴィクトリア ハーバーと、関門海峡。 一部がイギリスに植民地化されてしまった・されかけた(?)という以外にも、共通点はたくさんあります。
イギリスに植民地化されたタイミングのズレから、香港島のほうが早めに西洋化され、大きな西洋資本が大量に流入、アジアの一大ビジネスセンターとして発展をとげました。
一方、九龍半島のほうは、隣接する中国から、アヘン戦争、太平天国の乱、アロー戦争、日清戦争、と、度重なる戦乱のたびに難民が流れ込んでそのまま住み着く、という歴史があって、そのために、さまざまなルーツ、アイデンティティをもった人々が混在する、独特な雑多さを醸し出しています。
さてここで、在香港日本人に取材しました!
香港人の「日本、大好き!っぷり」に着目、日本へ旅する香港人・中国人などのための問い合わせ・予約代行サービス「OF COURSE JAPAN」で人気を博している、山口県出身の在香港日本人、山根雅規さんに、以下、取材協力をお願いしました。
山根さんいわく、「香港人は、『海峡のあちらとこちらで、空気が違う。』と言う」そうです。 そして、香港島側にある地下鉄の金鐘駅(Admiralty Station)が、九龍半島方面への乗り換え駅。ここが、「空気が混ざるポイント」なのだとか。
ちなみに、関門海峡のことも、地元・関門出身の写真家で作家、藤原新也さんが、「少年の港」という作品で、少年の鋭敏な嗅覚が、両岸の空気の微妙な違いを嗅ぎ分ける、という表現を使っていますね。
この香港の地下鉄路線図を、関門海峡周辺のJRの路線図と見比べてみましょう。
関門鉄道トンネルがとおる前は、通過駅にすぎなかった門司駅が、香港でいう金鐘駅と重なるポジションです。私も中学生の頃、この門司駅を毎日使って通学していたので、あちらとこちらが混ざる不思議な感じ、よく覚えています。
そもそも、あちらとこちらから来る車両の、色だったり雰囲気。これが全然ちがうのです。この、日常的な異邦人感?は、門司駅には未だに残っています。
香港両岸の空「気」と電「気」、価値観の違い
香港に話を戻すと、海峡のどちら側の人々も、「気」が滞ることを嫌って、冬でもブンブンと惜しげもなく電気を使って、エアコンを回します。 その電気を供給している電力会社も、あちらとこちらで別々です。 香港島の電力は、主に島内の火力発電で。九龍半島側の電力は、主にお隣、広東省の原子力発電所から引っ張ってきて賄われています。
香港島側の電力会社、HK Electricは、イギリス人資本による創立。香港島側の住民には、原子力発電の危険性を強く意識するタイプの人々が多く、一方火力発電の環境への負荷も問題視され始めたことから、火力発電に今でも依存しつつも、風力発電や太陽光発電といった新しい技術へのチャレンジも積極的に行われています。
一方、九龍半島側の電力会社、CLP Powerは、華人資本による創立。広東省に1993年に原子力発電所をつくり、そこからの送電で九龍半島の電力を賄うだけでなく、商魂たくましく、台湾、タイ、オーストラリア、インドなどの電力会社を買収して、世界を舞台に電力供給を行っています。安くて安定的な電力供給ができるのだから、少々のリスクには目をつぶろうということですね。まさに、異なる価値観の、向かい合いです。
さて、関門にまつわる電気の話といえば、やはり少年時代にマニアだった私には、鉄道のことが思い浮かびます。JR西日本は、下関まで直流で電化されていて、一方、門司から始まるJR九州は交流での電化。関門鉄道トンネルを通る電車は、JR門司駅を出て少し進むと、「絶縁区間」に入ります。このとき、「バチン!」と大きな音がして、照明が落ちるんです。それぞれの鉄道が電化された経緯の違いから、こんなことが起こるのですが、いずれこのメディアのどこかで、もっと詳しくご紹介できると思います。
Star Ferryと関門汽船
両岸がずいぶん異なった色彩を放つ海峡都市、香港。空気、そして電気、という切り口からお伝えしてきました。 両岸それぞれの歴史と成り立ちを知りつつ旅することこそ、海峡都市の醍醐味を味わうコツ、かもしれませんね。
イギリスによる植民地化の時期の違いから、東洋と西洋が向かい合う構造ができた海峡都市、香港。
By Baycrest – Own work, CC BY-SA 2.5, Link
こんな海峡渡船、Star Ferryが、両岸を結んでいます。夜になると、100万ドルの夜景といわれる景色の中を、渡船が走りますよ。一方、疾走感では、我らが関門汽船も負けてはいませんね。
By Diego Delso, CC BY-SA 3.0, Link
さて、今回も東洋と西洋が向かい合う、海峡都市独特の構造をここまでお届けしてきました。
このシリーズ、ブログでもネット番組でも、まだまだ続きますのでお楽しみに!
以上、海峡都市研究家、ハッシモ隊員こと橋本和宏でした。