神功皇后(じんぐうこうごう)をご存知でしょうか? 日本書紀や古事記に出てくる伝説の皇后で、とにかく勇ましい武勇伝がたくさんある方ですが、神社好きイラストレーターの上大岡トメさんの言葉を借りればこの方は「元祖日本のワーキングシングルマザー」なのです。
時代でいうと西暦200年前後。その実在性も議論になるほど昔の人なので、「史実かどうか」という古代史論争は軽くスルーして、「がんばる女性がパワーをもらえる海峡神社めぐり」に出たいと思います。
【Story】
旅の前に知りたい物語
神功皇后(じんぐうこうごう)は、神社好きにとっては、「八幡宮」のご祭神としてよく知られています。「八幡宮」は日本で一番多い神社の系列(?)です。
ちなみに、少し古いですが1995年に神社本庁がした調査によると、ランキングはこんな感じになっています。
第1位 八幡信仰 7817社
第2位 伊勢信仰 4451社
第3位 天神信仰 3953社
圧倒的に八幡宮がナンバーワンですね。(なんで八幡宮がこんなに多いのかを詳しく知りたい人はこの本を読みましょう)
さて八幡宮というと、源頼朝が信仰した鎌倉の鶴岡八幡宮など武人が愛する神様です。
戦勝祈願、必勝祈願。ここは負けられない!という時に頼りになるのが八幡宮なんですね。それはなぜか?
この八幡宮に祀られている八幡神というのは、実は神功皇后の息子の応神天皇(おうじんてんのう)のことです。そして八幡宮では一般に、応神天皇の他に神功皇后と、彼女の夫の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、さらに神功皇后のパートナーともいえる家臣の武内宿禰(たけのうちのすくね|他にもいろいろ読み方あり)あたりが一緒に祀られています。
この人たちの関係は・・・韓流ドラマみたいなややこしい話がたくさん語られますが、とにかく昔のことなので「諸説あり」ということで置いておきましょう。大事なのは、戦の途中で応神天皇を身ごもった神功皇后を残して仲哀天皇が戦死したにもかかわらず、神功皇后は身重のまま様々な敵と勇敢に戦って勝利するという伝説。そして、無事に出産も果たしてシングルマザーのまま政治も行いつつ、立派な天皇(応神天皇)を育てたということです。
ちなみに、応神天皇は生まれ以外は今ひとつ目立った伝説もない人ですが、一般に分かりやすいのはあのでっかいお墓でおなじみの仁徳天皇(にんとくてんのう)のお父さんだということ。このあたりからは実在性がかなり確実になっていく神話と歴史の狭間みたいな時代なのです。
S t o r y
「史実」は研究者にお任せしますが、「物語」としては次のようなお話しです。
時は仲哀天皇が即位した仲哀天皇元年(西暦192年)、「熊襲(くまそ)」と呼ばれた九州の豪族たちが朝廷に反逆しだしていて、その平定のために翌年に仲哀天皇は神功皇后とともに西国に拠点を移しました。それが今の下関市長府にある忌宮神社(いみのみや)あたり。当時は「豊浦宮(とよらのみや)」と呼びました。要するに、ここを拠点にして関門海峡を船で行き来しながら九州をガンガン攻める前線基地です。
ここから今の北九州市経由で福岡の方に入っていくので、北九州〜遠賀〜福岡あたりには神功皇后ゆかりの地名がたくさんあります。皇后崎(こうがさき)とかね。若松もそう。気になる人は調べてみると面白いです。
さてこの熊襲との戦で、シャーマンだった神功皇后が占うと海の神様である住吉三神が「熊襲の前に海の向こう新羅を攻めよ」と告げます。でもその占いに気が進まなかった仲哀天皇がお告げをスルーしたところ、仲哀天皇は案の定やられてしまうわけです。しかもその時神功皇后は懐妊しています。
どうしたものかとまた神功皇后が占うと、やはり住吉三神は「新羅を攻めよ」というので、子供が生まれぬようになんと!お腹に石を巻きつけて朝鮮半島を攻めに行きます。するとなぜかまったく戦わずに新羅は降伏、さらに百済と高句麗も戦わずして神功皇后に降伏してしまいます。あっという間に日本に戻った神功皇后は、福岡市糟屋郡の宇美町(うみまち)で応神天皇を産み、志免町(しめまち)でオシメを換えた・・・というなんとも奇妙奇天烈な物語です。
「そんなわけないだろ!」というツッコミや、「もしかして神功皇后は新羅の姫で、妊娠を実家に報告に行って喜ばれたのでは・・・」なんて想像話は置いておきましょう。とにかく彼女は身重の身体でよく頑張ったということですね。誰よりも頑張ってる貴女、この奇想天外なパワーにあやかりに行きませんか?
海を超え戦いに出る神功皇后に安曇磯良(あずみのいそら)という海の竜神が与えた不思議な珠(たま)がありました。
一つはたちまちにして潮が満ちる「満珠(まんじゅ)」もう一つはたちまちにして潮が引く「干珠(かんじゅ)」です。戦いを終えて帰国した神功皇后が関門海峡にその珠を投げて返すと二つの島になりました。そう今も関門海峡に浮かぶ無人島「満珠島と干珠島」ですね。島自体が国の天然記念物になっています。
その安曇磯良を祀るために作ったのが、門司港の和布刈神社(めかりじんじゃ)だということ。仲哀天皇9年(西暦200年)ごろのお話しです。もちろん関門海峡は、今も当時と変わりなく一日に4度潮流の向きを変えて流れ続けています。
いかがでしょう? 神功皇后とその時代に、興味が湧いてきましたか?
神功皇后ゆかりの七つの神社、そして関門海峡全体が、必勝祈願のパワースポットなのです。
それではいよいよ旅に出ましょう。
【モデルコース】神功皇后のパワースポット!海峡七神社をめぐる関門時間旅行
できることなら、2017年10月に関門時間旅行プロジェクトで上大岡トメさんと実施したみたいに門司の港あたりから船で海峡を渡りながら神社をめぐるのが最高の贅沢です。神功皇后(じんぐうこうごう)の時代には海峡こそがメインルートできっと普通に通っていただろうから。関門海峡を通って神社をめぐっていると神代の時代にタイムスリップします。実際、多くの古い神社は海峡に向いて建っています。
とはいえ、関門時間旅行の取材では釣り船をチャーターして変わったルートを回りましたがなかなかそうも行きませんから、ここではポイントとなる神社を挙げますので、電車・バス・タクシー・徒歩などでめぐってみてください。自家用車でぜんぶ回るのはおすすめしません。海峡を行き来しながら楽しんでみて下さい。
神功皇后海峡七神社
朝からしっかり回れるように門司港に前泊をオススメします。魚の旨い店で一杯やりつつ想像旅行のご準備を。
1.甲宗八幡神社(こうそうはちまんじんじゃ)→ 海峡沿いプロムナード徒歩 2.和布刈神社(めかりじんじゃ)→ 関門人道トンネル徒歩→ バス or 徒歩 3.日本西門鎮守八幡宮(にほんさいもんちんじゅはちまんぐう)→ 徒歩 4.亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)→ タクシー5.彦島八幡宮(ひこしまはちまんぐう)→ タクシーで下関駅→ JRで新下関駅〜徒歩 6.住吉神社(すみよしじんじゃ)→ タクシー or 徒歩(自転車が一番ですが) 7.忌宮神社(いみのみやじんじゃ) → 徒歩 番外(8)豊功神社(とよことじんじゃ)→ 満珠干珠を眺める
2泊目は下関で。七社を一気に回って一泊して翌日はテーマ無くぶらぶら関門をめぐるのもいいでしょうし、当日寄り道しながらめぐるなら亀山八幡宮あたりまでで一泊できれば余裕のある旅になるはずです。
Coming soon !!!
【Travel Casting】
五感で感じるトラベルエンターテインメント
関門時間旅行プロジェクトでは、耳で聴く旅のワクワクガイドプログラム「Travel Casting」を準備中。
これは、まったく新しいエンターテインメント。
これまでの、観光地をめぐる旅とはまったく違う、「作者の意図」や「演出」を感じながら、見て・聴いて・嗅いで・触れて・味わって・・・あなたの五感で感じる「トラベルエンターテインメント作品」です。
【神功皇后のパワースポット!海峡七神社をめぐる関門時間旅行】も近日リリース予定。
どうぞお楽しみに!