吉川英治の小説の「宮本武蔵」は巌流島の決闘で終わります。多くの映画やドラマも同じです。
しかし、真の偉大な剣豪 宮本武蔵が生まれるのはその後です。武蔵がこれほど長く語り継がれているのは「五輪書」を始めとした普遍的な勝負の哲学や、その迷いのない剣が筆に乗り移ったかのような見事な書画の評価あってこそ。そしてそんな宮本武蔵のターニングポイントは巌流島にあったと言っていいでしょう。巌流島、関門海峡、そして小倉の街は、宮本武蔵の人生にとって運命の地なのです。

 

武道のみならずあらゆるスポーツマンの愛読書であり、ハーバードビジネススクールで教科書にもなっているという「五輪書」ですから、武道家・スポーツ選手・監督・ビジネスマン・起業家・政治家・戦う行政マン・・・サムライ魂を持つあらゆる人にオススメの旅。
これは、歴史を訪ねる旅というより、人生のプライドを掛けて時代の変化に挑むあなた自身に向き合う旅。

【Story】
旅の前に知りたい物語

まず、「巌流島の決闘」が何のための試合かを知らない人が多いでしょう。あれは小倉城を建てた細川忠興時代の小倉藩の剣術指南役をめぐる試合です。小倉藩剣術指南役だった佐々木小次郎と完全自己流ながらデビュー以来60戦近く連勝している注目の兵法者 宮本武蔵を戦わせてどちらが強いかを決そうというもの。しかし、小次郎の存在については武蔵以上に謎に包まれています。佐々木という名字すら歌舞伎の創作ではないかといわれます。

ただ、試合があったことは事実でしょう。
武蔵の死後9年目に養子の宮本伊織が小倉に建てた父の偉業を称える巨大な石碑「小倉碑文」にも岩流という兵術の達人と戦ったとあります。当時から多くの人が知るたいへん有名な試合だったに違いありません。しかし、宮本武蔵にとってはどうもあまり気持ちのいい話では無かったのかもしれません。武蔵自身が書いた書物には、巌流島の戦いの話はまったく出てこないのです。

そもそも、考えれば謎の多いのが「巌流島の決闘」です。

 

  • 小倉藩剣術指南役の腕を競わせるのに真剣白刃で戦う必要があったのか?
  • なぜ小倉城の本丸でなく関門海峡に浮かぶ無人島でわざわざやったのか?
  • 結局勝った宮本武蔵は小倉藩の剣術指南役にはならず、なぜまた放浪の浪人生活を続けたのか?
  • 島の正式名称は「舟島(ふなしま|現在でも同じ)」だが、なぜ勝った武蔵の名では無く負けた小次郎の流派の名前で島が呼ばれるのか?

そして、宮本武蔵はこの巌流島以降、ピタリと真剣の決闘をしなくなります。しばらく歴史の表舞台から姿を消し、次に記録が見られるのは巌流島から3年後の大阪夏の陣。徳川方の水野勝成(みずのかつなり)について出陣しています。
ここから先が、宮本武蔵が一兵法者から軍師たる力量や芸術家としての才能を花開かせ、さらには後世に世界的ベストセラーとなる勝利の哲学「五輪書」を編み出すまでに至るのですが、この過程で運命のいたずらはまたもや宮本武蔵を関門海峡をのぞむ小倉の街へと呼び戻すことになるのです・・・

S t o r y

まず、時代背景がわからないと武蔵の気持ちに感情移入できません。1600年の「関ヶ原の戦い」の後の日本に行ってみましょう。

関ヶ原の戦後のニッポンでは、日本中の大名が半分勝ち組、半分負け組になったわけです。日本中の大企業が半分倒産したようなものです。当然エリートサラリーマンの失業者が溢れています。
一方で、勝ち組はこれまで小さかった藩が急に大きく加増されたり新大名になったりするのでこちらは人材不足です。コネのある人はどんどん再就職したでしょう。
コネ以外でもいい人がいたらどんどん採用!ということで、「我こそは超優秀」と実績をアピールしながら高禄でヘッドハンティングされることを夢見て活動した浪人がたくさんいた時代。

ただし、時代が大きく変化したために、求められる人材像はこれまでとは違うものに急速に変わっていったのです。例えて言うなら、バブルが崩壊して古い日本の大企業が半分倒産するのと同時に、一方ではITバブルになってデジタルやグローバルに強い人材が求められたような感じでしょうか。「あなた、パソコンは?」「英語は?」・・・・

宮本武蔵は関ヶ原の戦いの頃はもちろん無名の若者ですから実績にも何もなりません。また有名流派の弟子でもないので学歴なしの実力者みたいなもの。東大卒にクイズ大会やIQテストでガチンコ勝負を挑んで勝ち続けている若者のような存在です。

そんな、実力顕示の最後の戦いが「巌流島の決闘」でした。そこで何があったのか史実を調べるのは歴史家にお任せするとして、おそらく宮本武蔵はこの時、「ああ、時代は変わってしまった」と思ったことでしょう。
だからこそ、その後武蔵は決闘をしません。自分の剣はただ強いから勝つのではなく勝つ理由を極めているのだ・・・と軍師・戦術家としての自分を意識し、見世物的な剣術士として扱われることを嫌っていきます。

ここで、巌流島の戦いの当時・・・1612年の小倉がどんな街だったかを押さえておきましょう。それはピカピカのニューシティでした。

巌流島の戦いがあった1612年は、小倉城ができてまだ3年です。小倉城の作りは「唐風づくり」「南蛮づくり」と呼ばれたモダンなものでした。天守最上部が下の階よりも広がっている当時としては画期的なデザインだったんです。

元々は中津城に入った細川忠興(ただおき)が、九州の玄関口として関門海峡と長崎街道の交わるところあった街を再開発して作った最新のニューシティ。しかも、ガラシャ夫人の菩提を弔うキリスト教のミサの音が響き、貿易船も行き来する国際的な街でした。急速に増えた人口のなんと3分の1がクリスチャンだったということ。当時、ものすごく先進的な都市だったことは想像できますよね。
決闘のために瀬戸内海経由で入ってきた宮本武蔵は、その最新鋭の都市の作り方にさぞ刺激を受けたことでしょう。ところがその街での就職は果たせなかった・・・。

宮本武蔵は剣以外でも水墨画など芸術面でも超一流として知られています。剣術もそうですが師について一から学ぶというよりも、優れた手本を見るとその本質をざっくりと会得し自ら試行錯誤して一級品に仕上げてしまうという天才的な俯瞰力がある人だったに違いありません。

小笠原忠真

そして、大阪の陣でついた水野氏の縁で客分として仕えるのが、当時10万石の小大名として明石に城を築こうとしていた小笠原忠真(ただざね)です。宮本武蔵は客分浪人のまま、今の明石市の元になる町割り・・・つまり都市計画まで担当しています。専門外の経営コンサルタントのまま建設局長並みの仕事をさせてもらったという感じでしょうか。もしかしたら「うちの局長としてやらないか」と誘われたかもしれませんが、武蔵はその小藩に自分では士官せずまだ15歳だった養子の伊織を就職させます。ところがこの宮本伊織がたったの5年で小笠原家の家老に抜擢される出世を果たします。

そしてそのすぐ後に、熊本の加藤家が改易(かいえき)つまりお取り潰しになります。秀吉子飼いの加藤清正の息子は徳川家にとって邪魔だったので言いがかりのような改易。そこに豊前小倉藩の細川が加増の上で引っ越すことになり、空いた小倉城にはなんと明石にいた小笠原が入ることになったのです!つまり、あの巌流島の地であり、新たな港湾城郭都市として刺激を受けた小倉城で息子の伊織が家老になるということ・・・。

この時の宮本武蔵の気持ちはどうだったでしょうか。おそらく、誰よりも自分に自信があった武蔵は、大きな仕事ができる地位に付きたかったし、それなりに大きな俸禄を望んだことでしょう。そのためにいろいろな活動をしてきたのです。ところが養子の伊織が結果的に、自分が試験で落とされた企業の執行役員になったようなもの。

そんなわけで、武蔵は小倉に再びやってくることなります。そこで息子の伊織と一緒にキリシタン大名の一揆である島原の乱の平定に活躍し、宮本伊織はさらに1500石加増されて20代で一気に筆頭家老となります。トータル4000石。地位も高いが俸禄も。武蔵の俸禄と比べると10倍以上ひらきがあったようです。

武蔵の気持ちを考えると複雑だったでしょうね〜。

小笠原忠真の小倉藩で、晩年の宮本武蔵は槍(やり)の名人の高田又兵衛と試合したことが分かっています。高田又兵衛は今も奈良に続く高田派槍術の師範で、元々は武蔵が若い頃に武者修行で決闘している宝蔵院流槍術の使い手です。巌流島の頃と違って、小倉城内で行われた殿様の御前試合で、真剣ではなく木刀と木槍の試合だったようです。諸説ありますが、どの話も要するに引き分け。互いに相手に華を持たせて終わったということ。その後、高田又兵衛と宮本武蔵の交流は生涯続いたそうです。

いかがでしょう? 地位や俸禄では息子の伊織の方が10倍を超えるという状態で遥かに追い越された宮本武蔵。殿の御前試合で槍術の使い手を傷つけず、華をもたせ、友好関係を築いていく宮本武蔵。円熟の想いとしかし強烈な自我や自信とが交錯した、そんな気持ちだったのではないでしょうか。

そして最晩年に、あの巌流島を知る熊本の細川から、小倉を出て客分で来ないかという誘いが来るのです。
武蔵は小倉を後にして最後のひと仕事をするために熊本に向かいます。それは小笠原家 筆頭家老 宮本伊織の父君として悠々と暮らす最後ではなく、ターニングポイントである「巌流島」を思い出すための最後の旅だったのかもしれません。

それではいよいよ旅に出ましょう。

【モデルコース】巌流島後の宮本武蔵!「無敵」をめぐる関門時間旅行

 

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【Travel Casting】
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どうぞお楽しみに!

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