関門時間旅行

下関の山の上を泳ぐ “伝説のクジラ” !? 思わず二度見する珍百景

右手に関門海峡、左手に赤間神宮や火の山を眺めながら、車を国道9号線に走らせる。長府の下関市美術館前にある外浦の交差点を左へ大きくカーブしようとしたとき、辺りの風景とはあきらかに異なる物体が目に飛び込んできた。山の上になにかいる!?

好奇心をくすぐられ、ハンドルを右に切ってみた。関門医療センターの駐車場に続く道へ入る。小高い丘は遊歩道として整備されているが、人の気配はない。ひっそりとしているが、たしかにあの物体はこの上にあるはず。駐車場に車を止め階段を登っていくと、なんと、鯨のプロポーションそのままの建造物が目の前に現れたのだ!

全長25mのシロナガスクジラをモデルに作られた、鉄筋コンクリート製の建造物。

「おしり」が出入り口。串崎城跡が隣接しており眺望も抜群。

海峡を往来する人の心も癒した鯨の圧倒的存在感!

この鯨館と関門医療センターがある敷地一帯は、かつて下関水族館があった場所である。現在の水族館は、渡船場のある唐戸に移転して「海響館」という名称で日々賑わいを見せているが、もともとはこの場所にあった。開館は高度経済成長期に突入する1956年。東洋一の規模を誇った水族館として話題となり、水産都市下関を印象づけた施設となった。別館として建てられた鯨館は、旧「下関市水族館」の目玉だったのだ。

まずは、下関と鯨の関係をひも解く必要がある。そこで訪ねたのは、下関海洋科学アカデミー鯨類研究室室長の石川創さん。石川さんはもともと獣医師だが、南極海や北西太平洋鯨類捕獲調査で調査団長を務め、南極海では14回もの航海経験をもつ鯨のスペシャリストである。近代捕鯨発祥地として「くじらのまち日本一」を目指す下関市を拠点に、学術的に調査研究を続けている。

鯨類研究室室長の石川創さん。定期的に「鯨塾」も開いている。

石川さんによると鯨館は、1958年の関門国道トンネル開通と市制70周年を記念して開催された「下関大博覧会」に合わせ、大洋漁業株式会社(現マルハニチロホールディングス)が大林組に発注し、完成後に市へ寄贈したもの。新しい水族館の開館に伴い2000年に閉館。館内には捕鯨に関する資料を、商業捕鯨が取沙汰される1975年には鯨の生態が学べる資料が展示されるようになったという。当時、下関水族館に入館すると、一番目に入ってくるのが鯨館だった。イルカやアシカのショーを見たあと、最後に辿り着いたのがここだった。まるでジャンボジェット機に搭乗するかのようなワクワク感を家族で味わったという思い出話もよく耳にする。入館者だけではない。関門海峡を往来する船の船員や、国道を走りぬけるドライバーの心にも寄り添っていた。鯨館は海峡都市を優しくおおらかに見守り続けていた。

それにしても、気になるのはこの構造だ。本物のクジラを象った鉄筋コンクリート製の展示場なんて、他に例があるのか石川さんに尋ねてみたが、これというものは思い当たらないらしい。あの生々しい建造物、だれが、どのような発想で、どのような工法でつくられたのだろう。

作家・古川薫さんも下関を愛した一人だが、旧水族館の閉館に合わせて作られた冊子「『下関水族館』さようならそしてありがとう記念集」(2000.12.3発行)にこんなメッセージを寄せている。「(造形について)建築業界でもナゾになっているという。(略)奈良の大仏の鋳造法が、後世の人々の推理を誘ったように、クジラ館のそばに立っていろいろ想像してみるのも面白いではないか。」やはり謎は謎のままでいたほうがいいのだろうかーー

ところが、「最近、その資料が出てきたんですよ」と石川さんが読売新聞の記事(2012年10月26日朝刊)を見せてくれた。基礎工事や建設途中の骨組みの状態、施工計画図など、当時現場の責任者を務めた男性が保管していたことがわかったという。そこに驚きの事実が。「設計担当者はシロナガスクジラを見たことがなかったため、専門書を参考に設計図や模型を作った」ーー!!

そう、あの鯨館のモデルをシロナガスクジラとしているが、設計者はシロナガスクジラを知らずに作ったというのだ。これは下関市民もビックリではなかろうか。実際のシロナガスクジラと見比べてみよう。

ほ乳類で最も大きいとされるシロナガスクジラ。
※イラスト・画像ともに(一財)日本鯨類研究所提供

で、ふたたび、こちらが鯨館。

べ、別モノ…(笑)。でも、似てようが似ていまいが、もはや問うところではあるまい。鯨館のクジラは確実に夢をもたらしてくれたのだからーー

緑の中にひっそり佇む鯨館の運命は・・・

下関は「ふく」ばかりが知られているが、古来より北浦を中心に長州捕鯨が盛んで、搾取された鯨肉や鯨油、鯨骨は、集散地の下関(都市部)に集められ、北前船などによって各地に運ばれていった。つまり「くじら」の町だったのだ。近代化が一気に進んだ明治中期はとくに目覚ましい。1899年にノルウエー式捕鯨を取り入れた日本遠洋漁業株式会社が設立され、下関と長門は近代捕鯨の発祥地となる。5年後の1904年には林兼商店が明石から下関に拠点を移し、1936年に大洋捕鯨(現マルハニチロホールディングス)を設立、日本捕鯨(現日本水産)に続いて、南氷洋捕鯨に進出する。戦時中は捕鯨も中止となるが、終戦翌年には南氷洋捕鯨を再開、戦後日本の食料難改善に貢献した。捕獲した鯨を冷凍保存するための巨大な冷凍設備が完備されていたために、1950~1960年代頃には南氷洋捕鯨の鯨肉の集散地としておおいに賑わっていた。九州から関門鉄道トンネルをぬけてすぐ、車窓の左手に見えていた林兼産業社屋の屋上に輝いていた親子鯨のネオンサインに、ああ帰ってきた、とホッとした市民も多かったにちがいない。しかし、いまどれだけ下関と鯨の蜜月が知られているだろうか。

じつは横浜DeNAベイスターズも、もとを辿れば発祥の原点のひとつは下関にある。捕鯨事業が活況だった大洋漁業が1949年にまるは球団を設立、大洋ホエールズとして活躍した。その後、本拠地を大阪、横浜と移し、現在の横浜DeNAベイスターズとなるわけだが、大洋漁業といえば、まぎれもなく「鯨館」の生みの親だ。どれだけ「くじらのまち下関」であったか、残念なことにいまでは想像しがたいものとなっている。けれども、忘れないでねと声なき声を発していたのは、「鯨館」そのものであった。石川さんいわく「このまま放置して雨漏りでもしようものなら、そのうち朽ちてしまう。残すべき財産だと思います」

特別公開。立ち入り禁止の鯨館は、いまこうなっている!

いまは立ち入り禁止の鯨館だが、石川さんは最近調査のために特別に入館したといって、記録写真を見せてくれた。いまは物置のようになっていたという。ご本人に許可を得たので、特別に公開しよう!

すっかり物置と化している(写真:石川氏提供)

暮らしと鯨の関係や生態を紹介した展示物もあった(写真:石川氏提供)

また、鯨館の下にむきだしの鯨骨が鉄の棒に固定されてボロボロになって置かれているが、石川さんの見解では、モデルとなったシロナガスクジラの骨ではなく、イワシクジラであろうという。どのような経緯でここにあるのかは不明だが、なぜか頭部だけは下関市立大学図書館の玄関に展示されている。

鯨館の下に野ざらしになっている鯨の骨(写真:石川氏提供)

頭蓋骨だけは下関市立大学図書館の玄関に展示(写真:石川氏提供)

鯨のおかげで、いまの海峡都市・下関があることを「鯨館」の取材を通して知ることができた。旧水族館が閉館した時、鯨館の取り壊しは免れたものの放置状態は続いている。のちに保存運動も起こったが予算がとれず、断念したという経緯もある。

じつはもう一つ、こんなエピソードがある。発注をした当時の大洋漁業の社長から設計担当者に「向きはクジラのふるさとの南極海がある南南東にしてくれ」と指示されたのだという。いまもなお鯨館のクジラは、ふるさとを遠くに見つめ、山の上で泳ぎ続けている。このまま朽ちるのを見守るしかないのだろうか・・ともかく、ぜひ会いにいってほしい。

新水族館「海響館」の脇にある「くじら感謝碑」

【BOOK】下関と鯨を知るための、石川創さんオススメの本
『関門鯨産業文化史』岸本充弘(海鳥社)
鯨産業・文化の面から関門エリアを比較検討した一冊。鯨の集積・流通拠点として栄えた下関だが、塩鯨などの鯨肉は、筑豊炭鉱や八幡製鐵、石炭の積み出し港だった若松港や門司港に運ばれ、労働者の貴重な蛋白源を担っていた。つまり鯨産業を足元で支えたのは関門エリアともいえそうだ。

『下関クジラ物語』岸本充弘・安冨静夫(下関くじら食文化を守る会)
下関とクジラの関係を産業発達史視点から記述。第54回国際捕鯨委員会下関会議が開催された平成14年に刊行。下関に特化した鯨産業史だが、地元に言い伝えられる鯨伝説やシーボルトが捕鯨について聞き取りをするエピソードなども盛り込まれていて、読み物としても楽しめる。

【鯨館へのアクセス】
住所:下関市長府宮崎町(関見台公園)
サンデンバス「市立美術館前」下車徒歩5分
駐車場あり

<予告>次回は門司の珍百景を予定しています。お楽しみに…!

About The Author

関門プロデュース研究隊海峡都市の編集職人中野 由紀昌
山口県下関市出身。陸上競技の強豪校として知られた長府高等学校の短距離選手として、日々、強靭な肉体と猪突猛進の精神を叩き込まれる。

高校卒業後、陸上選手として北九州市の企業に入社するが約3年で退社、日本デザイナー学院(福岡市)に入学し、デザイン・編集の道へ。福岡市の出版社で雑誌編集に5年ほど携わったあと、独立。同時期に開校したイシス編集学校に入門、それまでの「編集」の概念が一掃、多様性と可能性に満ちた「編集工学」の虜となる。

現在は「EDIT OFFICE 瓢箪座(ひょうたんざ)」で、印刷物や催事の企画・編集・DTPのほか、地域に編集的な場づくりをもたらすべく、九州支所「九天玄氣組」での活動や、MUJIBOOKSなど書店でのブックワークショップを展開中。無類のひょうたん好き♪

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