北九州と下関で「関門県」構想があった? 大正14年発刊『海峡大観』の大胆な都市構想
北九州と下関をひとつの海峡都市に
北九州市の五市合併(門司・小倉・八幡・若松・戸畑)は昭和38年のこと。
しかし、大正14年に、すでにこれを提唱していた人物がいたことをご存じでしょうか?
福岡出身の実業家、中野金次郎さんです。
内国通運(現・日本通運)や興亜火災海上保険を設立した方で、「運送王」とも呼ばれていたそうです。
彼は著書『海峡大観』の中で、関門海峡を挟むこの地域が繁栄するためには、五市合併に加え、下関とも一緒になり、ひとつの都市「海峡府」あるいは「関門県」を形成すべきだと語っているのです。
なんと大胆でユニークなアイデアでしょう……。
『海峡大観』を前北九州市長が絶賛!
本書が書かれたのは、製鉄や炭鉱などの産業が栄え、両岸の町の繁栄も絶頂期にあったころのことです。
(今のところ)関門県は実現していませんが、昭和38年には彼の構想通り、五市が合併し北九州市が誕生しました。
しかし、主要産業の変化などにより、人口減少や町の衰退が進んでいきます。
これを食い止めようとした末吉興一 前北九州市長が提唱したのが「関門特別市」構想です。
前市長は、市長に当選した際に友人に『海峡大観』を贈られ、その創造的な発想に感激し、本書をたいへん大事にしていたと言います。
門司港レトロのまちづくりにも尽力されましたが、かの運送王のアイデアがどこかで生かされたのかもしれません。
”関門をひとつに”の精神は今も生きている
毎年お盆の時期になると、関門海峡の空には両岸から花火が打ち上がります。
門司と下関が合同開催している「関門海峡花火大会」です。
両岸の花火を一度に観覧できるという贅沢な花火大会ですが、海上で花火見物するためにやってくる豪華客船を迎え入れるのも、地元の人にとっては胸が踊るできごとのひとつです。
「今年は向こうのほうが豪華だね」なんて言い合いながら、海を挟んで門司と下関それぞれの見せ場やフィナーレに拍手を送り合う花火大会は、全国的にみても珍しいものでしょう。
これも”関門はひとつ”を身近に感じられる瞬間かもしれません。
「此の新しき意義ある行政区の名を予想するは、やや理想的に馳するものあるべしといえども、試みに、これを海峡府、または関門県の名を以てせば、妥当なるべしと思ふ。吾等の理想とする海峡統一の実現は、かくの如くにして行はるべし」(『海峡大観』より)