関門時間旅行主宰、トミタプロデュースの富田剛史です。
東京公演の最終日 2023/2/22に、ようやく、舞台「巌流島」を観てきました。
チケット即完の公演ながら、コロナの影響か若干キャンセルも出て、幸運にもチケット入手しました。
これから日本全国での公演なのでネタバレ的なことは書きませんが、感想を一言でいえば
「面白かった!」
満席の場内は、ほぼ99%が女性。この舞台を見た人は生涯、「宮本武蔵」=「カッコいい男」とイメージを固めることでしょう。宮本武蔵愛好家の私としては嬉しいですが、武蔵本人が観たらどう思うだろうか・・・。笑
新解釈で誕生した青春群像劇
横浜流星の殺陣(たて)に感動!
(以下、敬称略にて失礼します)
井上ひさし×蜷川幸雄の「遺作」で藤原竜也が宮本武蔵を演じる「ムサシ」のような”ひねり方”はせず、ある意味ストレートに描かれたマキノノゾミ脚本、堤幸彦演出の「巌流島」は、横浜流星×中村隼人ほか大勢の爽やかなキャストもあり、「青春群像劇」といっていい仕上がりです。
僕が何より感動したのは横浜流星と中村隼人の殺陣(たて)の素晴らしさ。
中村隼人は歌舞伎役者なので慣れているかもしれませんが、それにしても歌舞伎の殺陣とはスピード感が違います。
そして、今回初挑戦にして二刀流という横浜流星の殺陣にはびっくり。狭い舞台を文字通り縦横無尽に駆け回って2本の刀を思う存分振り回します。当然ながら、切られ役も含めて完全に段取りは決まっているわけですが、まったくそんな段取りを感じさせない自然な動きです。
それもそのはず、パンフレットを買って始めて知りましたが(ファンには常識?)、流星くんは小学校からずっと極真空手を習い、中3のときには世界大会で優勝経験もあるガチな武術家なんだそう。
インターネットの記事では、年齢別・体重別の部門優勝とはいえ、70カ国から代表が集まった世界大会ですからまさに世界チャンピオンです。
極真空手は、防具もグローブも付けず素手・素顔でフルコンタクトで戦う真剣勝負ですから、どこまで振り抜けば相手に当たるか…その見切りが凄いのでしょう。だからあんな迫力がある殺陣ができるのですね~。
横浜流星と宮本武蔵…
不思議なほどのシンクロ!
極真空手の創始者の大山倍達は、「極真空手」のモットーとして
「千日を以って初心とし、万日を以って極とす」という言葉の“心”を“真”に変え、名称とした。」
と言っているそうです。
それはまさに宮本武蔵が「五輪書」で水の巻の最後に書いた「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」に呼応しており、極真空手を鍛錬してきた横浜流星は、まさに宮本武蔵に相応しい配役だったわけです。
また、横浜流星のお父さんは大工さんだそうで、すごく尊敬しているんだとか。実はそれも「五輪書」とシンクロします。五輪書はびっくりするほど丁寧に初心者むけに『兵法の極意』を解説した伝書ですが、その五輪書のはじめの章「地の巻」の序文を終えたあとに、武蔵は真っ先に兵法を「大工」に例えて説明しているんです。
「一、兵法の道、大工にたとへたる事」
その説明はかなりのボリュームで、材料である木の使い方から棟梁の心持ちまで様々な角度から、いかに「兵法の道」と「大工の道」とが良く似ているかを力説しています。武蔵は大工さんがよほど好きだったに違いありません。
さらに、彼は昨年公開の映画「線は、僕を描く」で水墨画の世界に入る大学生を演じています。その原作は、関門時間旅行プロジェクトで僕が無理をいって何度も宮本武蔵の名作「枯木名鵙図(こぼくめいげきず)」を模写してもらい、しまいに巌流島でライブで描いてもらった水墨画家の砥上裕將さんです。
砥上さんの描く動きは宮本武蔵を再現しており、そんな砥上さんがモデルの小説で主人公を演じるとは…
砥上さんが、武蔵の画を巌流島でライブ模写する様子が残る動画「関門時間旅行 宮本武蔵をめぐる旅」はこちら
というわけで、横浜流星くんに宮本武蔵が憑依したかと思った一日でした。
しかし、いくらなんでもちょっとカッコよすぎですけど。笑
巌流島の真実は・・・
それにしても、「巌流島の決闘」がこれほど物語の題材になると、今更「史実」が明らかになるのは、多くの人にとって望まれないことなのかもなぁ~などとも思いました。
実際には、巌流島の決闘についても宮本武蔵や小次郎のことについても、吉川英治が小説を書いた頃よりもずいぶんいろいろ分かってきてはいます。
特に、武蔵は関ヶ原の戦いの段階から西軍ではなく東軍(徳川方)について参戦していたことは定説化し、その後の人生についてもかなり分かってきています。
ただし、巌流島の決闘は、これまで言われている慶長17年(1612年)説の他に、その十年まえの慶長7年(1602年)説が研究者には注目されていて、もしそうだとすると従来の物語のあらゆる前提がひっくり返ります。
武蔵はまだ10代で、巌流島は「宮本武蔵生涯最後の決闘」ではなく、吉岡一門との戦いなどの前に起きた事件ということになるので。
・・・小次郎の出自や名前なども今だ謎ですから、逆にいえば小倉藩剣術指南役などの公職についた人物の可能性は低く、どうも今みんなが知る「物語」とはかけ離れた事実なのかもしれませんが、まぁその真偽の探究は歴史家の皆さまにお任せするとしましょう。
壮年の武蔵の物語を、
いつか横浜流星さんで!
とはいえ、宮本武蔵という人が武術はもちろん諸芸に秀でた天才だったことや、その考え方が現代にも通じる哲学であったことは動かない「事実」です。五輪書を始めとする著作や書画の作品に残っていますし、直接薫陶をうけた息子の宮本伊織が公に伝えていますから。
ですので、私としては、「巌流島の決闘がどうだったか…」よりも、「どうやって武蔵はここまで自分を鍛え上げることができ、なぜ今も世界中で信奉者を生み続ける【永遠の存在】になったのか…」の方に興味がわきます。
生涯、領地にも高禄にも肩書きにも無縁だった武蔵が、最後に「獨行道」に心境を綴り、「天仰実相円満兵法逝去不絶」と遺言して亡くなった満足感はどこから来ているのか・・・
願わくば、そこに至る壮年の武蔵の物語・・・特に、宮本武蔵の人生メンターとも言える小笠原忠真と共にした明石~小倉時代の物語を創作できたら良いなぁと思っているわけです。
それを、歳をとった横浜流星くんがやってくれれば最高ですけど。
最後に、関門海峡にいって「巌流島」に行ってみようと考えているアナタ!巌流島だけのガイドブック「関門時間旅行ガイド~宮本武蔵をめぐる旅【入門編】巌流島の決闘とは!?~」を入手されてから行くことをオススメしますよ~。
(文責:とみたつよし)