戦国から泰平へ…大変化の時代を生ききった宮本武蔵が、最後に至った境地を記した「獨行道(独行道)」とは

宮本武蔵という人は、掘れば掘るほど魅力的な人で、それも現代に生きる我々にとってもヒントになることがたくさんある、実に普遍的な魅力に溢れています。

武蔵の時代は、戦国時代→ 江戸時代へ、力が正義→ 戦いのない時代へと変化した時代です。そんな中で、遅れてきた最強の武者である宮本武蔵は「刀で勝つ必要のない時代のサムライの生き方」を考え続けたのではないかと思います。

そこで「今後は剣術よりも交渉力だ」とか、「剣術よりも算術だ」「学問だ」とか考える方向もあるかもしれませんが、武蔵はあくまで剣の道=兵法の理(ことわり)にこだわり、何事も兵法の理に従って生きぬきます。サムライとは、個人の戦闘能力を誰より高く極めながら、その強さは「家」と「主君」を守るためであって自分のためではない・・・という存在。つまり・・・

「個」の力を極めつつ、個人のために使わない。
「家」を守り生きるのに、群れずに個を極める。

という、相当に自分を律せないと難しい生き方を貫くこと。
そして「武力」ではなく「尊敬」で統治することこそ、平和な時代の武士の生きる道だと江戸時代の初めにハッキリ示した人が、宮本武蔵だったのではないかと思いました。だからこそ、宮本武蔵は当時から多くの人の尊敬を集め、そのサムライ魂へのリスペクトは枯れることなく400年たった今も世界に広がり続けているのではないかと。

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宮本武蔵が死の七日前に書き、弟子に渡した『獨行道(独行道:どっこうどう)』という【作品】があります。これは弟子への備忘的な言いつけメモでも、自分自身に向けた誓いでもなく、今後平和な時代を生きるサムライの後進に向けて伝えた「生きる心得」ではないかと思います。武蔵最後の作品だけに、非常にコンセプチャルで「座右の銘」にする人もたくさんいますが、面白いのは人によって響く言葉も違い、少しづつ解釈も違うことです。

どれが「正解」かは問題ではありません。みんなそれぞれに「独行道」を考えることを通じて、武蔵先生と400年の時を超えて会話ができることが、この作品の本当の素晴らしさなのですから。

ということで、以下に、何度も何度も書き換えて、2018年12月9日に行った「宮本武蔵聖地巡礼の旅」に参加者にお配りした富田の解釈を掲載しておきます。これとて、また自分の成長と共に書き直していく「道の途中」の解釈ですが・・・。(※2021年秋、少し改定しました)

独行道 by 宮本武蔵
独り行く道 〜サムライの心得〜(意訳)

一、世々の道をそむく事なし。

世の道にそむくことはない

一、身にたのしみをたくまず。

自分の楽しみやトクを考えない

一、よろづに依怙(えこ)の心なし。

どんなことにも依存心を持たない

一、身をあさく思、世をふかく思ふ。

自分のことより、世のことを深く思う

一、一生の間よくしん(欲心)思はず。

生涯、欲望にとらわれない

一、我事におゐて後悔をせず。

自分のしたことは、後悔しない

一、善悪に他をねたむ心なし。

善悪の判断に、他人を妬む心は挟まない

一、いづれの道にも、わかれをかなしまず。

違う道を選んだ人との別れや、心離れを悲しまない

一、自他共にうらみかこつ心なし。

自分にも人にも、恨みや責任転嫁の気持ちを持たない

一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこゝろなし。

恋慕の情に、心とらわれることはない

一、物毎にすき(数奇)このむ事なし。

物に対して、いちいち好き嫌いはない

一、私宅におゐてのぞむ心なし。

自分の住む家に、あれこれ望みはない

一、身ひとつに美食をこのまず。

必要以上に贅沢な食事はいらない

一、末々代物なる古き道具所持せず。

代々伝える立派な道具など持たない

一、わが身にいたり物いみする事なし。

自分が持っている物を忌み嫌うこともない

一、兵具は各(格)別 よ(余)の道具たしなまず。

武具は別だが、他の道具は特にこだわらない

一、道におゐては、死をいとはず思ふ。

武士道においては、死は恐れることではない

一、老身に財宝所領もちゆる心なし。

年老いた身に財産や所領を貯め込もうと思わない

一、仏神は貴し、仏神をたのまず。

神仏は尊敬するが、神仏頼みではない

一、身を捨ても名利はすてず。

たとえ死んでも、名誉は捨ててはいけない

一、常に兵法の道をはなれず。

常に兵法の道を離れず、武士として生きる

2018年に記した解釈を2021年10月に少し修正しました。お読みの皆さまのご意見もあれば、ぜひコメントください。曖昧さが特徴の日本語表現では、とくにこうした短文は「正解」はひとつではなく、複数の解釈ができるところが良いところ・・・ということがたくさんありますので。そのような幅も含めて、武蔵が後世に残したかったことを想像できたら嬉しく思います。

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宮本武蔵の「獨行道(独行道)」の解釈を何度も考えた。やはり武蔵はすごい!” に対して4件のコメントがあります。

  1. KOGA より:

    善惡に他をねたむ心なし という文の解釈、非常に助かりました。
    四年前の記事ということは承知していますが、感謝の意を伝えたく思います。

    1. 富田 剛史 より:

      ありがとうございます!
      その文は、解釈が分かれますよね。私がそのように感じたのは、五輪書「空の巻」の最後、つまり武蔵が力を振り絞って力説したかったところを読んでです。
      武蔵は、空をもって道とし道を空と見る所…、といいながら、その後段で「道は有なり」「心は空なり」と結んでいます。
      「道」はやはり自己の思惑が避けられないと言ってる気がします。しかし、善悪とは「真」で、それは誰かの思惑を超えた「空」であると感じたのではないでしょうか。

  2. 蹴部 鼠流手 より:

    『獨行道』三番目の「一、よろづに依枯(えこ)の心なし。」の「依枯」は「依怙」ではないでしょうか?
    手持ちの辞書には以下のように出ています。

    《広辞苑 第七版 アプリ》
    え‐こ 【依怙】
    ①[法華経(普門品)「観世音の浄聖は、苦悩と死厄とに於て、能く為に依怙と作ならん」]依りたのむこと。
    ②一方にかたよってひいきすること。かたびいき。えこひいき。平家物語(5)「かやうの事についてこそ、おのづから依怙も候へ」
    ③私利。天草本伊曽保物語「たばかつてするはかりことは一旦の依怙にはなれども」

    《精選版 日本国語大辞典 アプリ》
    え‐こ【依怙】
    〘名〙
    ①頼ること。頼むこと。また、頼るべきもの。頼りにするもの。〔色葉字類抄(1177−81)〕
    *右記(1192)
    「厥友邪必其人邪也。厥友正必其人正。依怙心相移故云々」
    〔法華経−譬喩品〕
    ②一方にかたよってひいきすること。えこひいき。
    *平家(13C前)五
    「庁の下部しもべの習ひ、かやうの事につゐてこそ、自らの依怙も候へ」
    *集義和書(1676頃)一六
    「依怙なくすみやかに決断すれば、世間にほまれ有て、立身することあり」
    ③自分の利益。私利。また、わがまま。
    *甲斐大善寺文書−建久八年(1196)一〇月日・甲斐柏尾大衆等解案
    「就㆑中於㆓寺内㆒更無㆓一分依怙㆒。僅堂舎菴室居所計也」
    *曾我物語(南北朝頃)一
    「一旦のゑこに住すとも終には天罰降り来り」
    <語誌> 漢語本来の意味①から転じた②③の意で多く用いられる。「贔屓ひいき」も本来は「大いに力を入れること」の意であったものが対象が限定されることによって「自分の気に入った者に特に力添えすること」の意に転じ、「依怙」 「贔屓」がほぼ同じ意になり、重ねて用いる用法も生じたと思われる。
      えこ【依怙】 の 沙汰(さた)
      =えこひいき(依怙贔屓)
      *どぜう地獄(1924)〈岡本一平〉六
      「それでこんな依怙エコの沙汰サタがあるのだ」

    1. 富田 剛史 より:

      蹴部 鼠流手さま、ご指摘ありがとうございます!
      確かに誤字ですね「依怙」に改めます。誠にありがとうございます。

      「よろづに依怙の心なし」としたためた意図についても、蹴部 鼠流手さまが示していただいた辞書にある①②③の意味それぞれが込められていようと思います。前後文脈と、臨終近くに際し「独り行く道」と題して周囲に示した書き付けであることを思えば、「推敲」されたものではないでしょうから同じ思いが表現を変えて何度も出てきます。「善悪に他をねたむ心なし」「自他共にうらみかこつ心なし」「仏神は貴し、仏神をたのまず」などです。しかし武蔵自身、そのような生き方でありたい…と願いつつ、出世欲、財欲、名声なども求めてきた自身をひとつひとつ整えて、最後は地位も財も名誉もさほどないながら信頼できる少数の人に囲まれ、自身の人生に満足感を得て、武蔵の理想を描いたのではないでしょうか。

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