ジブラルタル海峡・・・ヨーロッパとアフリカ、ふたつの大陸を、わずか14キロメートルの幅で隔てる海峡。

両岸に位置するのは、スペインとモロッコ。しかし、軍事的な意味合いから、地中海側の入り口には、北岸にイギリスの飛び地である英領ジブラルタル、南岸にはスペインの飛び地であるセウタが位置し、今でも複雑なにらみ合いが続いています。

一方で、イギリスやスペイン、そしてアフリカの文化が混じり合う、ほかに類を見ない魅力を放つ海峡都市でもあるのです。

世界の海峡都市 #4 ジブラルタル

海峡都市。
そこでは、兄弟のような二つの都市の真ん中に、世界につながる海が流れています。

関門海峡なら、その幅は、最短でわずか700m。
海峡をへだてて、異なる文化、異なる価値観、異なる存在が向かい合う。

微妙に違うあの町とこの町が、船で、橋で、トンネルで結ばれ、
日常の内側に、「旅」が包み込まれていく。

あちらとこちらの人々が、複雑な歴史と感情を引きずりつつも少しずつ交わり、
そこから新たな文化が創造されていく。

海をはさんだ異文化との接点が日常にとけ込む独特さが、旅人を魅了してやまない、
「世界の海峡都市」の数々をご紹介するこのシリーズ

今回取り上げるのは、ジブラルタルです。


ジブラルタル海峡の衛星写真

【海峡名】ジブラルタル海峡

【都市名】海峡北岸:英領ジブラルタル|「ヘラクレスの岩」が象徴する、ヨーロッパ世界の最果て

海峡南岸:スペイン領セウタ|ヨーロッパとアフリカの人と文化が入り交じる国際都市

【両岸最短距離】およそ14km

【海峡都市エリア人口】およそ200万人

【宗 教】キリスト教、イスラム教

By Alanlemos, CC BA-SY 3.0, Link

神宿る 最果ての海峡、ジブラルタル

ジブラルタル海峡は、ご覧のように、ヨーロッパ世界の西の端、地中海の出口に位置しています。ということは、大航海時代以前のヨーロッパ人にとっては、最果ての地であり、新しい世界への入口でもあったわけです。

さて、このジブラルタル海峡。ギリシャ神話では、半神半人の英雄・ヘラクレスの手によって造られたとされています。

ヘラクレス vs. ゲリュオン (ルーブル美術館蔵)

三頭三体の怪物、ゲリュオンと戦って勝利した帰り道。

近道をしようと、世界の西の端を支えている神の山・アトラス山にさしかかったヘラクレス。

登って帰るのは面倒だとばかり、ハンマーを使ってアトラス山をたたき割ってしまいます。

その結果できたのがジブラルタル海峡で、両岸には「ヘラクレスの柱」といわれる奇岩が残りました。

古代ローマの地図に残るヘラクレスの柱(中世の複製)

ヘラクレスがアトラス山をたたき割ったときにできた海峡は、いささか幅が広すぎたそうで。

当時のヨーロッパ人にとっては、ジブラルタル海峡以西の外海は、未知の世界。

未知なる海から怪物がゾロゾロ押し寄せてきてはたいへんなので、ヘラクレスに力技で大陸を動かし、今の幅に調節してもらったという伝説も残っています。

「ヘラクレスの柱の向こうに、失われた王国・アトランティスが眠る」

こう語ったのは、師・ソクラテスの思想を詳細に書き残し、西洋哲学の源流となった、プラトンです。

とくに、ヨーロッパ側の「ヘラクレスの柱」は、The Rockとも別称される世界的観光名所。英領ジブラルタルが位置する地中海岸の岬の大半を占める、威風堂々たる一枚岩の石灰岩で、高さは426メートル。内部には、美しい鍾乳洞が100以上もあります。

ヨーロッパ側の「ヘラクレスの柱」(英領ジブラルタルに位置)
The Rock内部の鍾乳洞

By Joonasl, CC BY-SA 2.5, Link

実際、600万年前ごろに、地殻変動の影響でジブラルタル海峡周辺が地続きになり、地中海が干上がりかけたことがあったと、地質学の研究で明らかになっています。533万年前ごろに、海水面が上昇して、いまのジブラルタル海峡ができ、大西洋から海水が流れ込むようになって、地中海は干上がらずに済んだのだとか。

ただ、このときの海水面の上昇は、200年ほどかけてじわじわと起こった、と考えられていて、ヘラクレスがハンマーの一撃で…というお話とは、実際のところは少し違うようです。

神がかり具合は負けてない、われらが関門海峡

ジブラルタル海峡がギリシャ神話の舞台なら、私たちの関門海峡は、日本神話の舞台です。

どちらの海峡も、「世界の西の果て」であり、「未知なる世界への入口」という位置づけが、共通しているのです。

2017年10月27日の「関門時間旅行」第3回インターネットLIVE中継では、「開運!神社さんぽ」シリーズを著したゲスト・上大岡トメさんに、関門海峡と神社、そして日本神話の関わりについて、下関の絶景ゲストハウス UZU HOUSEより、楽しく解説いただきました。

関門海峡を舞台とした日本神話の主役級スターは、この方、神功皇后。

夫の仲哀天皇とともに、熊襲を平定するため九州へ。そのあと、亡くなった仲哀天皇の遺志を継ぎ、お腹にのちの応神天皇を宿したまま、朝鮮半島へ出征するという、なんともアクティブな皇后さま。武家社会の守り神である八幡神の母として尊崇を集めました。

熊襲を征伐したあと、のちの応神天皇を妊娠したまま、朝鮮半島へ出征する神功皇后
仲哀天皇と神功皇后をまつる忌宮神社

下関市の長府地区にある忌宮神社は、熊襲平定のため関門海峡にやってきた仲哀天皇と神功皇后が、御所として滞在した場所。現在は、安産の神さまとして地元の人々に親しまれています。

GFDL, Link 

関門海峡に浮かぶふたつの小島、満珠(まんじゅ)と干珠(かんじゅ)。朝鮮半島への遠征途上、神功皇后が、住吉三神から授かった珠ふたつを海峡に投げ込んだところ、それが小島に変わったという伝説があります。

門司港 和布刈(めかり)神社から望む関門海峡に浮かぶ、満珠島・干珠島

By Ca23 13, CC BY-SA 4.0, Link

下関にあり、こちらも仲哀天皇と神功皇后を祀っている、彦島八幡宮に、こんな逸話が伝わっています。

古代、関門海峡の両岸は陸続きで、山がちな地形だったが、山の下に小さなほら穴が開いていた。この穴を「穴門(あなと)」と呼んでいた。穴門を通って、瀬戸内と響灘の潮流が行き来していた。この「あなと」の響きが転じて、「長門(ながと)」という国名になった。

仲哀天皇と神功皇后が、長府にあった豊浦宮(今の忌宮神社)を船で出発し、熊襲征伐のため九州へ向かおうと、穴門に差しかかった。するとどうだろう、不思議なことに、下関と門司の間の山が突然、海に崩れ落ち、海峡ができた。崩れ落ちた山は、急流に押し流されて西へ流れ、今の彦島をつくった。山が引き裂かれて、海峡になり、そのときできた島なので「引島」と名づけられ、のちに「彦島」と改められた。

世界の西の端に位置し、神がかった力で、新たな世界への門が開く。「ヘラクレスの柱」の話と、よく似ていますよね。まさに、前回放送で炸裂した、岩崎達也・宣伝部長のキャッチコピーのとおり。

「関門は、神門だった!」

せわしなく反転する関門の急流が、平家の運命を決めた?

2017.11.17 関門時間旅行 インターネットLive(ゲスト:成河さん)

関門時間旅行のインターネットLIVE中継では、「潮流」もテーマに扱いました。

神功皇后の伝説に登場するふたつの小島「満珠・干珠」の名前に入っている字が示すように、関門海峡では、潮の干満と、両岸の潮位の違いのために、1日に4回、西へ東へと向きを変えつつ、激しく潮が流れます。源平合戦・壇ノ浦の戦いでも、この潮流が平家の死命を制したと伝わります。

この、関門海峡名物のひとつ、潮流。なんと、海上保安庁が、毎日の潮流の速さと、流れが変わったり最速になったりする時刻を1年分、予測して、マリンガイドという小冊子にまとめ、毎年、発表しています。

潮流の回のLIVE中継が行われた2017年11月17日を例にとると、この日の最速潮流は、西向き7.7ノット。かなりの速度。2017年の1年間での最速潮流速度は、9.6ノット(時速17.8キロ)。365日の間に、3日ほどあります。海上保安庁のホームページには、関門海峡の様子を映すライブカメラも設置されていますよ。

塩分少なく、比重の軽い大西洋の海水が、表面を東へ。深部では逆の流れ。海峡西端には海底山脈

一方、ジブラルタル海峡の潮流は、東側の地中海が閉鎖水域であるがゆえに、おだやかで、平均2ノットほど。

海水面近くでは、大西洋から地中海への東流。深部では、逆向きの西流が、ほぼ常時、流れています。塩分が少なく、比重の軽い大西洋の海水は、海水面近くの浅い部分をゆっくりと東へ。

一方、深い部分では、塩分が多く比重の重い地中海の海水が、ゆっくりと西へ。海峡西端に位置する海底山脈が、流れの行き来を妨げる構造にもなっています。

価値観が複雑に絡みあう、海峡都市ジブラルタルの今

さて、現代のジブラルタルに話を戻しましょう。

スペインの地図。ジブラルタル海峡周辺は特に領有関係が複雑

こちらは、スペインの地図です。

冒頭にも書きましたが、ジブラルタル海峡は、スペインとモロッコにはさまれた位置にあります。

のみならず、スペイン側にイギリス領のジブラルタルがあります。この地域は、駐留するイギリス軍相手のビジネスや、先に述べたThe Rockを資源とする観光業などで、経済的には非常に豊か。そのため、スペイン政府は、イギリスに対し、繰り返し返還交渉を仕掛けていますが、実らないまま、実に300年の月日が流れました。

一方、対岸のモロッコ側には、スペイン領の国際観光都市、セウタがあります。やや東方に離れたメリリャも、同様にスペインの飛び地領。こちらは、モロッコ政府からスペインに対し、「返せ、返せ」と交渉がたびたび仕掛けられていますが、スペインは、「セウタもメリリャも、我が国固有の領土である!」と、首を縦に振りません。

・・・ジブラルタルは「返せ、」でもセウタとメリリャは「返さん。」

「図式としてはどちらも同じなのに、こうしたスペイン政府の姿勢は矛盾している!」として、ヨーロッパ世界では批判の声が高いようですが、果たしてこの先、どうなるのでしょうね。

このうち、イギリス領ジブラルタルは、スペインと陸続きで、境を接しています。領有権をめぐり両国に政治的争いが300年も続いていることを反映して、国境には幅800mの緩衝地帯が設けられています。

イギリス領ジブラルタル。北にスペインと境を接する

イギリス領ジブラルタルでは、これまでに取り上げてきた海峡都市とよく似た現象が起こっています。ジブラルタルに接しているスペイン南部は、経済的にあまり恵まれない地域ですから、豊かで、働き口の多いイギリス領ジブラルタルに、毎日10,000人近くが国境を超えて通勤してきているのです。

対岸のセウタ、メリリャでも事情は同様。豊かな働き口と、安い生活費を求めて、国境を超えて日々、通勤する人々が絶えません。

イギリスがジブラルタルを、スペインがセウタとメリリャを手放さないのも、こうした経済的な事情によるところが大きいのです。住民投票が行われたこともあるのですが、ジブラルタルの住民はスペインへの返還を、セウタとメリリャの住民はモロッコへの返還を拒否。ジブラルタルの人々は、このままイギリス連邦の一員でいたい。セウタとメリリャの人々は、このままアフリカにいながらにして、ヨーロッパ世界に属していたい。こんな心理が働いているようです。

こんなジブラルタル、あるいはセウタやメリリャ。いずれも、多文化が入り交じる、旅人にはたまらない、異国情緒あふれる都市空間です。

イギリス領ジブラルタルのヒンズー寺院

By Deepaaidasani, CC BY-SA 3.0, Link

サウジアラビア国王から、イギリス領ジブラルタルに寄贈された巨大なモスク

By Wypoker, CC BY-SA 3.0, Link

セウタの夕暮れ

By Víctor Fernández Salinas, CC BY 2.0, Link

スペイン側からみたジブラルタル海峡。左手前がヨーロッパ、対岸がアフリカ

「海峡こそ、人生。ギャップを埋め、歩み寄る営みが、人生の質を高める。」

番組の中でこう語ったのは、第2回放送のゲスト、ハービー・山口さん。

「あっちとこっちと、ムリに同化せんでいい、一つにならんでもいい。それぞれでええんや」

このセリフは、第1回放送に出演した、黒田征太郎さんの言葉。

どちらも、真実でしょう。

多様性、ダイバーシティ、といったことが盛んに言われている昨今。

この連載を始めて、世界の海峡都市をめぐりながら、ギャップに取り組むことの難しさと、一方で、そこに垣間見える希望と。その両面を、感じています。

違いを認め、受け入れつつ、同化を押しつけず、共存する。

その塩梅が難しいところであり、また、人生の真髄なのかもしれませんね。

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