関門プロデュース研究隊 海峡都市研究家 “ハッシモ” こと、橋本和宏です。

「ぼくの血潮は、関門ブルーに染まっている」
「この関門海峡のお仕事は、関門ブルーの血に導かれてやっているんだな」

つい先日、母と食事をしつつ話を聴いて、こんなことさえ思ったことがありました。

ハッシモの愛息2歳です

ぼくの血潮も、関門ブルー。

こちらは、海峡キッド。ハッシモの愛息2歳、海峡大好きっ子です。

海峡で遊ぶのが、とにかく、大大大好き。
海峡で遊びたくなったら、夜中の1時でも、パパをたたき起こして、連れてってもらうのが、恐るべき特技です。

彼にも間違いなく、関門ブルーの血が流れているのでしょう。

門司港の老舗精肉店四代目から、フリーランスへ

私、ハッシモは、1974年に門司で生まれています。
実家は、1903年(明治36年)に創業した、「橋本食品」という会社を営んでいました。

この会社、今でも営業を立派に続けていて、お肉やお惣菜の店を、関門エリアを中心にチェーン展開しています。私も、2008年からごく最近まで、亡くなった父のあとを継ぎ、この会社に4代目のオーナー経営者として深く関わっていました。

しかし、新しい生き方に挑戦したくなって、会社を新しいオーナーに譲り、2017年のいまではフリーランスの立場に。(個人事務所「Player’s office太陽と月」ウェブサイトへ)  ビジネスコンサルティングやコーチング、セミナー講師をしたり、ラジオ番組をもったり、いろいろと模索しています。

この地で何代も商売を続け深い思いを抱きながらも、代々の家業をそのまま続けている皆さんは、いろいろな意味で「苦しい」と感じている方がきっと多いのではないでしょうか。私はそうでした。

そして、この地から少し離れて仕事をしようと思ったら、その途端に逆に関門エリアにこれまで以上に関わり、日本では稀有な存在といっていいこの「海峡都市」の魅力に引き込まれていっています。不思議な縁を感じますが、それは偶然というよりも、この海峡に魅せられた、血筋の力なのかもしれないと感じるのです。

何代も海峡を渡りながら育まれた関門ブルーの血潮

こんな私ですから、父方のルーツは門司港なわけですが、母は東京生まれ。
しかし、母方の祖父、佐藤宏二は、生まれ育ちは下関なのです。
宏二は、今は観光客でにぎわう唐戸地区に住んでいて、亀山八幡宮の境内で遊び、

「落ちないボール」が、鳥居に彫られた「山」の字、左下部分にハマり込んでいることで有名

GFDL, Link

今なお運航を続ける渡し舟、関門汽船と、かつて西日本鉄道が、北九州市内ほぼ全域で運行していた路面電車を乗り継いで、小倉高校に通い、大学進学時に東京へ。そして大学卒業後、そのまま銀行に就職、東京に移住します。
そこで生まれた娘が、私の母ですね。
(母は大学在学中、門司高校から同じ大学に進学してきた私の父と知り合い、門司に嫁ぎます。)

もっと凄いのが、佐藤宏二のお父さん、佐藤義文。
彼は、ある都市銀行につとめたあと、いまの山口銀行に転じ、そのあと、関門汽船でも働いていた。のだそうです。まさに、ミスター関門。

そんなミスター関門こと、義文には、宏二を含めて子どもが六人おりました。その子どもたちを関門汽船に乗せて門司港に連れてきて、遊ばせるのが趣味だったそうです。
私がいま、先に登場した「海峡キッド」ほか、子どもたちを連れてやってることと同じです。渡る向きが反対なだけで。

さらに、義文たち一家は、今はなき門司の料理店「ときわ」で、お肉を食べて帰るのが好きでした。そのお肉を店に配達してたのは、他ならぬ、私の実家、橋本食品だったのです!

そんな義文。
晩年は、高杉晋作が奇兵隊を旗揚げした場所としても名高い禅寺功山寺の檀家となり、

高杉晋作が挙兵した「功山寺」

GFDL, Link

美しい長府地区の武家屋敷の町並みで、静かに暮らしたということです。

長府地区の美しい武家屋敷

663highland, CC 表示 2.5, Link

以上、私が最近、関門の仕事をしてるのを知った母が、詳しく教えてくれたのです。

下関と門司、海峡を挟んで向き合う2つの街は、時に争いながらも、縁を結び合い新しい家族を作り、海峡を渡ったり戻ったりしながら何代にも渡って時間を積み重ねてきた・・・考えれば関門にはそういう家はかなり多いのではないでしょうか。

海を渡り合った先祖の時間を想えば、自分がなぜこれほど海峡に惹かれていくのかが分かります。

一軒一軒の商工業者がつむぐ歴史も、関門らしさ

私たちの海峡都市・関門。
役割と種類を異にする、両岸の「あの街と、この街。」
それぞれの港を中心に、たくさんの商工業者が立地して、地域を盛り立ててきました。
私も、そんな商工業者の一軒を、経営者として担ってきたひとりです。

近年では、時代の移り変わりとともに、製造業の空洞化だったり、そこからくる貿易港としての役割の変化だったり。少子高齢化だったり。関門地域のありさまも、大きく変わってきました。
そんな大きな時代の流れの中で、地元商工業者にも、変化の荒波が。私自身も、生き方の転換を迫られながら、今に至ります。

ちょうどそんな折に、母から聞いた、関門両岸で活躍した曽祖父たちの話。
経営者時代の私は、自社のことで精一杯で、地域のために行動を起こす余裕は、まったくありませんでした。
そんな私が、まさかこんなふうに、生まれ育った海峡エリアのために、燃える想いをもって仕事に取り組む日が来るとは。

私に流れる関門ブルーの血潮が、潮目を境にぐっと流れを変えて、私をここへ、押し流してきたのでしょうね。

そんな私とご一緒に、仲間として、このエリアを盛り上げ、魅力をともに発信してくださる、「関門ブルー」なあなたとの出会いを、心待ちにしています。

まずは、8月24日、19時から、仲間たちと一緒に「海峡がある街、関門」の魅力を探る、1時間半のネット番組をお届けします。
公開生中継ですので、お近くの方はぜひ現場にお越しになってご覧ください。
場所は下関Dream Ship。先着200名様の観覧希望を受付中です。

そして8月24日、下関Dream Shipで、ぜひ私たちに声をかけてください。もし気に入ったら仲間に入ってください。

海峡都市で、会いましょう。

海峡都市研究家 ハッシモ こと、橋本和宏でした。

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