榎木孝明さんを迎えての関門時間旅行|宮本武蔵聖地巡礼の旅『武藏の海峡、二つの「潮目」』

提供:北九州市・下関市(関門地域行政連絡会議)

関門時間旅行 produce
宮本武蔵 聖地巡礼の旅
〜武蔵の海峡、ふたつの「潮目」〜

お待たせしました。「ツアー篇」の後編をお届けします。
今回も旅人として、俳優武術家水彩画家でもある榎木孝明さん武蔵ファン代表として 前田典子さんに一緒に回っていただきました。

旅の2日目は、巌流島の決闘から20年経った1632年(寛永9年)の関門への時間旅行です。

若き日に細川藩の小倉城剣術指南役を争う戦いを佐々木小次郎としたあの小倉藩へ、なんと息子(養子)の宮本伊織が家老職を務める小笠原藩が幕府命令で「転藩」となって、50歳になった宮本武蔵は家老の父として20年ぶりに舞い戻るのです。

この20年の間に、時代は大きく変化しました。1612年はまだ「戦乱の世」の延長でしたが、1632年ともなると世はすっかり「天下泰平」の時代へと様変わり。武士の生き方自体が大きく変わった時でした。そんな時に50歳の節目と小倉藩へという運命のめぐり合わせは、宮本武蔵に次の世へ残したいものをしみじみ考えさせたことでしょう。それは時代の変化の大きい現代にも通じる心境ではないでしょうか。

【2日目行程】

・20年ぶりに訪れる関門海峡の「舟島」(巌流島)
*ゆっくりした気持ちとともに一抹の寂しさを噛み締めたかもしれない武蔵の気持ちを旅します

20年ぶりの「舟島」は、岩流の名前で呼ばれていた

舟島(巌流島)にある佐々木巖流の碑

巌流島で武蔵の水墨画の模写にもチャレンジ

海を眺め、お茶を飲みながら、晩年の武蔵に思いを馳せる


・小倉の生往寺
*武蔵と同時代に小笠原家に仕えた槍の名手で、武蔵とは生涯交流があったという高田又兵衛の墓があるお寺

高田又兵衛のお墓にお参り


・小倉城
*20年前と異なり、細川のお城ではなく”小笠原のお城”となった小倉城。筆頭家老の父であり君主小笠原忠真のアドバイザー的存在であったであろう宮本武蔵は、20年前とは異なり堂々と小倉城天守閣から城下を眺めたはず

小倉城天守閣は現存するお城では6番目の高さ


・手向山麓にある宮本家墓所
*宮本伊織をはじめ、宮本家代々の当主の墓がある墓所。宮本武蔵が小倉に「家」を残したことが実感できる
(※一般の方は入れません)

上段真ん中にあるのが宮本伊織のお墓。今も北九州に宮本家が続いていて武蔵が残した「家」を守る。


・手向山公園 山頂|小倉碑文前

*宮本伊織が偉大な父の十周忌を前に武蔵死後9年目の1654年(承応3年)に建てた碑が今も変わらず立っている

 

宮本武蔵の魂宿る小倉碑文の前で、兵法二天一流道場の皆さんが演武を披露

旅の締めくくりは、碑文の前で武蔵の言葉を唱和