あの宮本武蔵のメンター! 小倉のソウルフード「ぬか炊き」生みの親
今日は小笠原忠真の没日。小倉城に遊びに来た中学生のカンちゃんと小学生のモンくんですが、なにやらパパにお説教をくらっているようです。2人とも、小笠原忠真を知らないようですね。
(父)待て待て、この町に住んでいて、小笠原忠真を知らないのはまずいぞ!
(カンちゃん)小倉城の城主って、細川ナントカじゃなかったっけ? それ以外はよく知らないよ〜。
(父)最初に小倉城を作った細川忠興のことだな。その細川が幕府の命令で熊本に転藩になって以来、明治維新までずっと小倉藩を収めたのが小笠原家。そして小倉小笠原家の初代藩主が小笠原忠真なんだ。
(モンくん)”小笠原流”って聞いたことあるよ。弓道とか、茶道とか!
(父)そうだね。小笠原家は武家の礼法でも有名だ。でも、それだけじゃない。パパが彼にグッとくるのは、まさに”宮本武蔵のメンター”と言える男だからだ。
(カンちゃん)武蔵って、あの巌流島の? ぼく武蔵は好きだよ。二刀流ってカッコイイ!
(父)その巌流島の決闘のあと、武蔵がどうなったかは知ってる?
(2人)いや・・。
(父)武蔵は明石(兵庫県)に移るんだが、当時、明石を守っていたのが小笠原氏。そう、忠真と武蔵が運命的な出会いを果たすんだ。
忠真は、新しい城下町を作るときに町割り(都市計画)に携わらせたり、城内や寺院の作庭、仕官者の人事などにも活躍させたりしていて、武蔵は水を得た魚のように多方面の才能を花開かせることができたんだ。
(カンちゃん)武蔵は剣で戦い続けなかったんだね。意外。
(父)自分の兵法の考え方は敵を倒すだけでなく、様々な分野に応用可能だと考えたのかもしれないね。
ちなみに、宮本武蔵が小笠原忠真に推薦した人材の中でも特に優秀だったのは、他ならぬ武蔵の息子(養子)の宮本伊織。忠真が小倉に移ってからも、武蔵と伊織は小笠原氏に仕え、伊織は大出世していくんだ。
(カンちゃん)武蔵、小倉に戻ってきたんだね! 巌流島のあとの武蔵を、そばで見守っていた人がいたんだ。しかも、小倉がまさにその舞台だったなんて。
(モンくん)あ、旦過市場に着いたよ! いつもの"ぬか炊き”買おうよ!
(父)そうだな。骨が柔らかくて、美味しいんだよなあ〜。小倉や県内はもちろん、全国的に人気が出てきているらしいぞ。パパのフランス人のお友達は、パリにある日本食料理屋さんのぬか炊きが大好きだと言ってたぞ。
(カンちゃん)世界のNUKADAKI、かあ・・。
(父)ここで問題。ぬか炊きを小倉にもたらしたのは誰でしょう?
(モンくん)(この流れは・・)小笠原忠真?
(父)正解! 信州出身の忠真が、野菜を漬けるぬか味噌の美味さを城下に広めようとしたら、ぬか漬けを知らない小倉の人がサバやイワシなど青魚を煮こんで郷土料理"ぬか炊き"ができたと言われてるんだ。
(カンちゃん)なるほど! 小笠原忠真さんの魂は小倉のソウルフードとなって、今も生きているんだねえ。
(父)(カンちゃん、大人っぽいこと言うなあ・・)そう。今日も小倉城はきれいだ。