提供:北九州市・下関市(関門地域行政連絡会議)

「平家物語ゆかりの地」をめぐってみた
なんと下関・彦島には平清盛の墓もある!

平家物語と日本の芸能文化のルーツを探ろう・・・と企画をし始めた「シーズン2」の関門時間旅行Deeper!!ですが、プランニング篇の第4弾では、いよいよ旅を形にする「ツアー篇」のロケハンを、関係者で回ることにしました。

いうまでもなく下関は日本有数の「平家物語ゆかりの地」の宝庫です。平家の大将 平知盛が最後の砦とした彦島があり、戦後は安徳帝をお祀りする阿弥陀寺(後の赤間神宮)が設けられた下関には、たくさんの平家関連史跡や平家一門への想いを繋ぐものがたくさん残されています。

赤間神宮や壇ノ浦周辺は、渡船や関門橋など交通の要衝でもあり観光地としても有名ですが、今回取材して改めてその魅力を感じたのは「彦島」です。平家関連だけではなく、古代文字が彫られた石「ペトログリフ」など太古の昔からの歴史が玉手箱のように詰まった小さな島。なんと、あの平家一門のゴッドファーザー平清盛の塚まであります。それも、どこかの誰かがお祀りしたのでなく、あの最後の平家軍の御大将 平知盛が祀り、祈ったものだということ。これは凄い価値ですが・・・意外なくらいひっそりとしています。

彦島は、観光客はなかなか行きにくい場所なだけに、うまく取り込んだツアーを企画できればと思いました。

実は、門司側にも多い平家物語関連の見どころ

また、「壇ノ浦の戦い」の名があまりに有名なので、源平合戦=壇ノ浦=下関という発想になりがちですが、門司側にも関連史跡・ゆかりの地がたくさんあります。
まず何といっても、平家放浪の旅の端緒となる「柳ヶ浦」と安徳天皇の仮の御所「柳ヶ浦」は北九州市の門司駅周辺だと考えられます(清経入水の地「柳ヶ浦」は、大分県宇佐市の説もあります)。都を追われ、太宰府に逃れようとしたもののそこも追われた平家一門がようやくつかの間の安寧を得た地です。その後平家は再度支援者と共に船軍を立て直して、都近くに上り、ここから一ノ谷の戦い、屋島の戦いと徐々にまた西へ追い詰められて、最後の決戦 壇ノ浦の戦いへとなだれ込んでいきます。

早鞆ノ瀬戸に面した和布刈神社は平家一門が最後の晩に宴をした場といわれ、門司の氏神様甲宗八幡神社には平知盛の墓と伝わる塚が残ります。壇ノ浦の戦いは地上戦ではなく、関門海峡という下関と門司との間の海での戦いなのですから、当然ですね。

そして、源平の雌雄を決するのに非常に重要なキーとなった「関門海峡の潮流」を観察するには、早鞆ノ瀬戸(関門橋の下の最も海峡が狭い部分)の門司側に設置された「観潮テラス」はいいスポットだと確認できました。下関・火の山の下に設置された「潮流計」がよく見え、また目視としても流れる潮と渦を巻く潮と…非常に複雑な潮流がよく見えます。まさにこの場こそ、1000艘もの船が乱れ戦ったあの源平合戦の現場なのだと、ありあり想像できるスポットです。

今回の動画ではこの「観潮テラス」で、筑前琵琶奏者の高木青鳳さんが、アカペラで一節聴かせてくれています。それがまた鳥肌モノ〜。ぜひご覧になってみてください。


次回は、いよいよ「ツアー篇」です。 お見逃し無く!

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